5月19日

私の耳には「YMCA]ががんがん鳴り響く。

沖縄NAHAマラソンの7K地点で12回聞いた歌である。

西城が川崎市に住んでいたこともあって、川崎フロンターレのホーム

等々力競技場には何回か足を運び、ハーフタイムショー等でJ2時代から

支援していた。主将の中村憲剛は「夏の風物詩になっていた。あの空間で

みなを巻き込むパワーがあった。等々力が埋まっていない頃からお世話になった」

20日、恩人追悼のためエスパルス戦で喪章をつけて戦う。