2019-06-01から1ヶ月間の記事一覧
今はあたり前に林立してるタワーマンション、最初に見たのは、東神奈川駅前、鶴ヶ峰駅前、新子安駅前、平沼橋駅前だ。中でも鶴ヶ峰の周囲には、何もないから圧巻だ。
精進落としの際に出た秋田の清酒、出羽鶴。意外にサッパリ系、女性をターゲットか。
小さい頃から(ゴザの石)の意味わからず、70近くもなり、検索すると、時の秋田藩御一行が通りかかだ多彩、藩主佐竹義隆が石の上に座ったことによる
紅葉坂の頂点に立っても海は見えない。にっぼん丸さえも見ることができない。
伊勢町からみなとみらいを臨む景観だけど私のベランダから富士山が見えなくなった。
田沢湖高原温泉や乳頭温泉郷に泊まることはあるけど、田沢湖に泊まることはなかった。透明度2番目に納得。宿からの眺めもいい。
田沢湖高原温泉や乳頭温泉郷に泊まることはあるけど、田沢湖に泊まることはなかった。透明度2番目に納得。宿からの眺めもいい。
田沢湖高原温泉や乳頭温泉郷に泊まることはあるけど、田沢湖に泊まることはなかった。透明度2番目に納得。
田沢湖 線の駅、地名ではない、小野さん、岩崎さん、井上さんの頭文字をとって小岩井、日本一の牧場と教わった
昔、田沢湖に国鱒が棲んでいたと言う
青、藍、紫に変化する田沢湖、昔は自殺の名所でも有名
秋田の夕暮れ
フラ、ウクレレのパーティが行われた。フラの人口はふえているが、ウクレレの人口は減少している。
故郷秋田で告別式と初七日の法要を終えた。やっと落ち着いたと言えるかも知れない。
昭和47年に噴火した駒ケ岳とカルデラ湖で水深423mの田沢湖
田沢湖に行ったら秋田犬が観光用に飼われていた。退屈そうでかわいそうだ。連れて帰りたい。
母の告別式と納骨の為、角館に帰郷、押切町内会の方々も列席してくれた。
仙台付近通過、移動日と同時に挨拶回り、自宅はもう無い、残念。
秋田での葬儀、納骨の為、明日出発するがお土産を買いに桜木町の新しい店に行く。やっぱりおじさんはハーバーである。
外は雨、告別式、初七日の法要が営まれた。子供、孫、甥、姪等生前の故人に関わった方々がきてくれた。兄の挨拶によると子供の頃の苦労話、横浜に来て受けた介護の数々、を忘れることは出来ない。
外は小雨、涙雨なんとも立派過ぎる久保山霊堂、15人規模の家族葬も、落ち着いている。また明日。
梅雨入りした。とは言え、横浜の雨量は毎年少ない。でも水がめが多く節水には至らない。秋田は雪だけでなく、雨も多い。夜中にトタン屋根に打ちつける雨の音で、目が覚めたこと多数あった。
エアコンが昭和から令和の製品に変わった。当然とは言え、音無しで気持ちいい。寿命は10年? おいおい私は20年はもたせたい。
秋田から出てきて10年、ディサービスの毎日妹に面倒見てもらった。90年の笑顔の人生だった。 合掌
朝食用食パンは野毛のキムラヤベーカリーで買う。週2回ぐらいの頻度のせいか懐かしいチョコレートパンのサービスをうけた。密かに次を期待して いる。ふ、っかふかのもっちもち、とうぶんやめられない。
1850年代は遊女たちの静養する寮が岩亀横丁にあったらしい。その後三菱の造船所がしょうわ58年に撤退するまで労働者で賑わったそうだ。私は昭和45年に岩亀という料亭で三味線聞いて酒を飲んだ記憶がある。その店ではないけど、なんとも大きなフリージアを発…
坂を登りきったところにベンチがある。フィリピン人らしい女性が電話かけながら座っている。私が成田山別院に行って戻っても光景変わらず、何処の国も同じか。
坂を登りきったところにベンチがある。フィリピン人らしい女性が電話かけながら座っている。私が成田山別院に行って戻っても光景変わらず、何処の国も同じか。