2019-12-27 箱根駅伝その5 大八木弘明 会津工から実業団の小森印刷に入社したが、どうしても箱根駅伝に出場したく、日中は川崎市役所で働き、夜間は駒沢大の夜間部に通うこととなる。当時は27才までの年齢制限を覚悟で入部、エースとして2区を走り夢を果たした。約40年前、神宮外苑20キロロードレースに参加していた私は、トップを走る褐色の弾丸ランナーに3周抜かれたのである。あまりの速さに驚き参加者名簿で確認したのを覚えている。